追悼のJam

 鳥取「アフターアワーズ」の常連だったサックス奏者Yさんが亡くなられました。「え?6月の営業再開セッションでお元気だったのに・・」

思わず絶句しました。ジャズ仲間がいなくなるのはとても寂しいものです。

  頻繁に店のセッションに来られて、自分のバンドのライブにもしょっちゅう来ていただいてました。Yさんはアルト・サックスを吹かれるのですが、そのプレイ・スタイルには、聴くからにジャズを愛していらっしゃることが分かるし、実直な性格がよく表れていました。「演奏には性格が表れる」って、わりと間違っていないと思います。

 6月の第1水曜日。新型コロナウイルスの影響で営業自粛を余儀なくされ、2カ月ぶりにセッションが再開した日に、ほぼ4カ月ぶりぐらいにYさんと出会いました。再開をとても喜んでおられて、何曲がご一緒させていただいたのですが、いつも以上に活力にあふれた演奏が何とも印象的でした。この場を本当に待ち望んでおられたのだな、と感じさせる生気あふれるプレイ。私も定例セッションが再開されて本当に良かったなと思いました。この時はまさかYさんと最後のセッションになろうとは、夢にも思っていませんでした。

 7月上旬に、Yさんが亡くなられたことを知りました。60代とまだお若いのに、残念でなりません。Yさんはジャズを愛しておられたのはもちろん、市内外のジャズキチ(不快語ですみません。勿論いい意味です)が集うアフターという空間をこよなく愛されていたのだなと、改めてそう感じます。最近またコロナウイルスが勢い付き、多数で集まる会食などを自粛する動きが強まっています。おそらく当面は、コロナウイルスとの攻防に一進一退の状況が続くのでしょう。

 ただ、このつらく厳しい状況の中で、Yさんが愛したアフターのような空間は、我々にとってはますます大切な場になるでしょうし、コロナ収束後も、そうした場が我々庶民の精神的復興の支えになってくれるのではないでしょうか。

 コロナの教訓というか、コロナによっていや応なく思い知らされたことは、今日と同じ明日が迎えられない現実があるということです。決してそれに抗うことはできない。ということは、やはり今日という日は尊いと言わざるを得ず、Yさんの最後の演奏がそのことを端的に物語っていました。コロナが落ち着いたらYさんの追悼の意を込めた演奏の機会を持つことができればなぁと漠然と思っています。