島根半島四十二浦巡り

 島根県島根半島には数々の「浦」があります。浦とは入江のことです。かつて陸の孤島といわれた浦々が、近年は県道37号の整備によって、崖に沿ってぐるぐると這うように行き来した不便さが解消され、絶好のドライブコースになりました。最近、某新聞で四十二浦を1カ所ずつ巡る連載がありますが、その3年前から注目し、採り上げてきたことで、先見の明があったと密かに自負しています(笑)

  島根半島の浦々は、かつて「陸の孤島」といわれていました。といっても、そう昔の話ではありません。地元の人に聞くと、昭和30年代前半ぐらいまでは「孤島」だったそうです。どういう意味かというと、入江の集落同士が陸路でつながっていなかったのです。今では信じられないことですが、かつては集落と集落の間に日本海の荒波に浸食された断崖絶壁がそびえ立ち、行く手を阻んでいたのです。このため、隣の集落に行く時は、もっぱら船を利用していました。主な交通手段が船だったんですね。船以外では徒歩で山越えして隣の集落に行っていたと。

 やがて、自動車の普及とともに、陸路が整備されていきました。しかし、現在では旧道となった陸路は断崖絶壁に沿って延々と急カーブが続く難所で、バスとすれ違う際には、普通の自動車1台がぎりぎり。ガードレールのない崖っぷちに車を寄せて、かろうじてすれ違っていたそうです。「すれ違う時は恐怖だった」と当時を思い返す人がいます。私も子どもの頃に親に連れられて通った記憶があります。とんでもなく狭い道を延々と蛇行しているような感覚でした。そのため、県道37号が整備されるまでは、外部の人はもっぱら海水浴と釣り以外の目的では滅多に訪れなかったのではないでしょうか。

 しかし、北浦や笹子浦など「浦」の海水浴場は米子市民の間でも知る人ぞ知る穴場スポットでした。風光明媚であるにもかかわらず海水浴客は少なく、かつ貝類の宝庫だったからです。私たちは七類に行って素潜りしては「べべ貝」を山のように採って、煮て食べていました。それでも「知る人ぞ知る」存在だったのは、交通の便が悪かったからなのでしょう。

 それが、県道37号によって一変。夏に松江市七類から、いや、もっと東側の島根半島東端の美保関灯台のあたりから、水木しげるの漫画「のんのんばあ」のゆかりの地「諸喰」→法田を巡って七類→県道37号→千酌→笠浦→野井→野波→加賀に至るシーサイドコースをドライブすると、山陰とは思えないような開放感が味わえます。いや、「山陰とは思えない」というか、ハワイあたりのからっとした雰囲気と「日本の原風景」を思わせる山陰のウェット感が混じり合って、何ともいえない無国籍感を醸し出しています。和洋どっちに転んでもOKのような不思議な感じです。車を走らせている時はハワイのなに、集落で一服すると昭和のまま時が止まったかのような錯覚い陥る。まるで時空がひずんでいるかのような印象を受けます。

 そういった雰囲気をたたえた風景は、なかなか珍しい。おそらく、かつて「陸の孤島」といわれ、各集落が島しょ的な文化を育み、それらの集落を県道37号で一気通貫することで、思わぬ不連続感を生み出しているのではないでしょうか。おすすめは初夏から夏にかけての時期です。法田は近年はロードサイドに植えられた紫陽花でも有名な地域です。よく、トゥーツ・シールマンスフュージョンアルバムをかけながら夏のシーサイドをドライブしました。個人的には島根県でいま、かなり熱いスポットだと思っています。

 それぞれの浦々には豊漁と安全祈願をする神社があって、「四十二浦巡り」の趣旨はかつて願掛けで四十二浦の神社を巡った風習を現代の観光振興に生かそうとするものですが、神社以外にも各浦々の伝統的な祭。中には奇祭といわれる祭もあり、そうした独自の文化も非常に面白いと感じます。松江市島根町からいったん松江市街に出て、湖北線で再度日本海沿岸に北上すると、海苔で有名な十六島(うっぷるい)や洒落たカフェのある鷺浦などを経て、太古から変わらぬ姿を残す原生林を走り抜け、日御碕、出雲大社に到達します。

 そろそろ、四十二浦を巡るにはいい季節になってきました。今年の夏はちょっと趣向を変えて、島根半島に足を伸ばしてみてはいかがでしょうか。

 

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