名古屋トリエンナーレ、交付金不交付。前代未聞の愚策に驚く

驚きました。

(以下朝日新聞DDigital版から転載)

愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の展示の一部「表現の不自由展・その後」が中止となった問題をめぐり、文化庁は26日午後、採択を決めていた補助金約7800万円全額を交付しないと発表した。慰安婦を表現した少女像など、会場の安全確保や円滑な運営をするために重要な内容があったのに、申告なく進めたことを問題視したという。

 トリエンナーレの総事業費は約12億円で、県が少なくとも6億円、名古屋市が2億円を負担し、国も文化資源活用推進事業の補助金として7800万円を交付する予定だった。愛知県の検証委員会によると、不自由展関連の費用は約420万円。

 不自由展は、少女像や昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品の展示に対して芸術祭実行委員会や県などに抗議が殺到し、放火を示唆する内容もあり、開幕から3日で中止となった。

 県の検証委のまとめでは、県は5月には特別な警備体制が必要と認識していた。文化庁は、運営に不可欠な事実を伝えないまま申請したことは不適当だとして、補助金適正化法に基づいて不交付を決めた。申請では不自由展の内訳が明示されておらず、全額を対象としたとみられる。(転載ここまで)

  いやはや、文化庁が「脅迫された側」の補助金を不交付として「脅迫した側」の目的を遂げる片棒を担ぐとは恐れ入りました。「表現の自由など存在しない」ことを国が自ら証明したことになります。テレビでは萩生田文科大臣のぶら下がりの様子が伝えられていましたが。記者の誰も怒りもしないことに愕然としました。自由に対してあまりに鈍感なのではないでしょうか。

 今回の内閣人事は、よりによってと思わざるを得ない人たちの入閣が相次ぎましたが、特にひどいと思ったのがこの萩生田文科大臣です。私はこれまで、そうはいっても日本はまだ捨てたものではないよと思っていましたが、こういう人が教育行政のトップになってしまうと、さすがにそうも言っていられなくなってしまいました。案の定、この始末です。これからの世代の子どもたちは、外国で教育を受けた方がいいのではないかと、半分本気で思うようになりました。

 そもそも、脅迫で展示が中止になること自体、あってはならないことです。当たり前の話ですが、それは例えばマスコミ襲撃事件などと同系列の悪質な犯罪であって、思想や表現の自由の侵害にほかなりません。おそらく、いつの時代にでもそうした過激な人はいると思いますが、問題は、怒る人が少ない点だと思います。自由が侵害されているのに、そのことに心を揺さぶられない人が余りにも多い。東日本大震災による福島第1原発事故の後始末ができていないことや現在の日韓関係の悪化、日本の経済凋落など全てのことにつながっているのではないでしょうか。

 10月からの消費税10%引き上げに伴う軽減税率やポイント還元の仕組みの複雑さなどを見て下さい。実質5種類もの税率が発生する悪手でもキャッシュレス決済をごり押しするやり方もそうですが、もはや国民の利便性なんて二の次ですよ。厚生労働省の地方病院の再編への言及にしてもそうですが、最近、国はやる事なす事、短絡的で非常に粗さが目立つ。非常に恣意的な部分も多く、結局のところ、国民が怒らないからそうなってしまうのでしょう。私は日本人の心性は、かの大戦の時からほとんど変わっていないと考えています。故に、いつ挙国一致、大政翼賛に染まっても不思議ではないと思っています。交付金の不交付のような、こういう時に怒らない人が多いことから、その思いは確信に変わっています。